banner  吉川マサルと申します。Webサイト算数にチャレンジ!!を1996年から続けています。東京・恵比寿で小さな塾ARENAを運営しています。当ブログには主に洋服・映画等について書く予定。More...
2月
21st

J.エドガー

作成者: マサル | Files under Cinema, ★5

 現在公開中のアメリカ映画、「J.エドガー」です。TOHOシネマズ六本木で鑑賞しました。

実は鑑賞前、いろいろな面で尊敬している映画好きの方から、こんなメールをもらっていました。

「なぜか、全く不可解な理由で、私は今、とある屋上駐車場で涙に暮れております。なぜこんなに泣けるのか、サッパリわかりません。『J.エドガー』という作品が、かくも私のエモーションを激しくかき立てた理由が分からないのです。あぁ、また涙が出てきた!」(原文ママ)

決して「泣かせる映画」ではないこの作品が、なぜにこれほどまでに彼の心を打ったのか、この映画を鑑賞した後である現在も、完全にはわかりません。(本人もやや不可思議に感じているようです)が、「そうであってもおかしくはないな」という程度には理解できたつもりにもなっています。

この映画の特徴として観た誰もが指摘すると思われるのが、その特異な構造です。晩年の主人公が伝記小説を書かせているところから始まるのは、さほど珍しいものではないでのしょう。が、全体の3/4くらいの映像が、実はエドガーの記憶を映像化したものであって、その中に多分に「ウソ映像」が含まれているということがラストで突然明かされるという構造は..!「え?これまでの映像って、ウソだったの?」という軽い衝撃を受けて、それを消化する間もなくエンドロールになっちゃうわけで、混乱する人がいてもおかしくはない気がします。

 でもこの特異な構造こそが、この映画がJ・エドガー・フーヴァーという人物像を平板ではなく立体的に描き出すことに成功している最大の要因でしょう。伝記を書かせるということ自体も含めて矮小な部分を小出しにしつつも、しかし大筋では彼の業績を描く前半。女装癖や同性愛者であったというプライベートな部分や映画メディアを使って自己を大きく正しく見せるといった、彼の闇の部分(しかし同時に人間くさい部分)を描く中盤。そしてあっけなくそれまでの描写に「大どんでん返し」を与える終盤。時系列ではなく、彼の表層部分から徐々に内面に向かって掘り進め、最後に彼自身による事実の湾曲と記憶の捏造まで暴きだす…。

多くの人にとって自我とはその人の記憶そのものであり、たとえそこに脚色があったとしても、誰かに指摘されたりすることは少ないはず。しかし、フーヴァーのような歴史上の大人物の場合、さまざまな「記録」が「記憶」の誤りを指摘し、そのことによって(あるいは誤りの存在それ自体が)彼の矮小な一面を浮き彫りにしてしまいます。「記憶」と「記録」の差異を暴かれるというのは、フーヴァーにとって、いや誰にとっても(おそらくはイーストウッド自身にとっても)「されたくないコトの筆頭」なのではないでしょうか。そこまでしてイーストウッドが描きたかったとは何なのか…。

その1つはフーヴァーについて暴いたその事実そのもの、つまり「人間とはこういうもの」という現実、そしてもう1つは、アメリカ社会においてほとんどの人々が信じて疑わない(「当たり前」と思っている)安全や安心といった社会の基盤が、実はフーヴァーのような脆弱で矮小な人物の増幅された自我によって作られたものだということ、そしてこの社会は強固で盤石であるように見えて、実はみんなが大丈夫と思い込んでいるから大丈夫になっているだけであるという、「世の中はそもそも底が抜けている」ことの指摘なのではないかと現時点では思っています。

それにしても、「赦す」ことが最大かつ唯一の解決方法である場合があることを描いた「インビクタス」、人の一生は「いかに人と関わり、人と結ばれ、人を幸せにするか」で決まることを解いた「ヒアアフター」、そして今作。イーストウッドは(こう思いたくはないのですが)人生の終着点に向けて、自分が世界中の「後輩たち」に伝えられることを、後悔のないように伝えておこうとでも思っているような、そんな気がしてしまっています。あと何作観れるのか分かりませんが、しっかりと受け止めたいと思います。

 

個人的満足度:★★★★★

1月
12th

2011年 映画総括

作成者: マサル | Files under Cinema

こんな遅くなって書いても誰も…とは思いますが、集計してみました。数えてみたら、昨年は40本くらいしか劇場では映画を観てませんでした。(自宅ではその倍くらいは観てると思いますが)やはり震災後の3ヶ月間がすごく少ないですね..。こういうことが、エンタメ業界全体におよぼしたと考えると、震災はともかく原発問題の影響の大きさを再確認せざるを得ません。

さて昨年のベスト10ですが、いつも通り作品の出来そのものを客観視しただけではなく、その前後に自分に与えてくれた体験等も印象に大きく影響していると思います。映画の解釈について議論したり、監督さんとお会いしたり…なんてのはかなり大きいですね。というわけで、飽くまでも「個人的満足度」ですのでその辺はご了承くださいませ。m(__)m

 

1位.ソーシャル・ネットワーク

1月に劇場で観た段階で、「あぁ、これは年間ベスト級だな」と思った作品。観たときは「アメリカ社会のアツさ」を羨ましく思い、しかしその後の鑑賞では、自分は「世界を変えたい」などと思ったことがなく、単に自らのルサンチマンの克服に動機づけられていることに気づき、「俺は小せぇなぁ」などと思ったり。秋に開催された榎本憲男さんの勉強会でも取り上げられ、再び楽しめたことも大きかったかも。

2位.ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド

高校のころからのビートルズ好きの私ですが、昨年はなぜかその熱が再度上がってしまいました。武道館コンサートのLDを入手してみたり、シェアスタジアムのDVDを買ったり、その他海賊版もいくつか。この映画は「シャイン・ア・ライト」を撮ったスコセッシ作ということで期待が大きかったのですが、それを全く裏切らない素晴らしい出来でした。特にジョージのビートルズ解散後に多くの時間がかけられていたのには感心しました。(パティとの一件について、パティ本人とエリック・クラプトンがインタビューに答えているのにはビックリしました)

3位.サウダーヂ

前作「国道20号線」の観賞時に富田監督とお会いし、その映画制作の考え方に共感しました。実はこの作品の制作費として少しだけ寄付していたりもします。前作は良くも悪くも自主映画感がたっぷりと感じられるものでしたが、今回はその映像クオリティにびっくり。しかし作品の指向は自主映画の良さもしっかり残っていて、感激してしまいました。日本の地方都市にひそむ「ゆがみ」のようなものを複数の切り口で群像劇として描いた傑作だと思います。日本版「ナッシュビル」だと思いました。(後日その辺を監督に直接聞いてみたところ、ナッシュビルは未見とのことでした)

4位.ミケランジェロの暗号

ナチス・ドイツのホロコーストを、今までの作品とは異なる切り口で描いた秀作。ナチスものながら、コメディタッチの部分もあり、思わず笑ってしまう場面も。それでいて、1つの家族とその友人に訪れた悲劇をしっかりと描いていたと思います。何より、テンポが良い。戦後にドイツ軍側の人間と誤認されて連合軍側にとらえられてしまうシーンなど、「まだまだ話は続くのか..」と思ったらあっという間に終わっちゃうし。ラストも痛快でした。

5位.サラの鍵

これまた新しい切り口のナチスもの。実は1月になってから観たのですが、2011年公開なので入れちゃいました。一人の少女にふりかかった非情な運命とその後の選択、そしてその子孫たちの運命。ジャーナリストである主人公が徐々に少女の一生に迫っていく物語と、当時の物語という2つの時系列が絶妙に組み合わされていて、分かりやすくも感動的。ラストではうるっときてしまいました。

6位.人生、ここにあり!

教え子に「これは良い」と言われて目黒シネマで観た作品。私は障がい者たちをなんとか「そこにいる理由」のある存在にしようと奮闘する主人公の行動力とひたむきさに共感。「何ごとも、一歩目を踏み出す勇気なんだよな、やっぱり」と自分の半生を振り返りながら鑑賞しました。

7位.見えないほどの遠くの空を

Twitterでフォローしていた方が実際に映画を作られたという、私には大興奮ものだった作品。実際、試写で観たときには感激してしまいました。「終わりなき日常」を生きることに慣れつつある現代の若者に、あえて不器用に語りかけるみずみずしい作品。撮影から公開までの間に震災と原発事故があり、ちょうど「終わりなき日常が終わりを告げつつある」ころに公開されたことも印象的でした。次回作にも超期待。

8位.ウィンターズ・ボーン

アメリカの貧困とは何なのか、そして幸せとは何なのか、深く考えさせられた作品。映画で描かれるのは、物質的な豊かさが極限までゼロに近づいた社会。(しかし絆はある)日本には逆に、物質的な豊かさが極限まで高まった結果、絆がゼロに近づいた社会がある。どちらがよりキツいのか…などと考えてどんよりしてしまいました。もちろん、映画の中の世界に住みたくはないのですが。

9位.ゴーストライター

あるゴーストライターの死に、後釜のゴーストライターが迫るサスペンス。緊張感も謎解き感もバッチリで、2時間きっちり楽しませてもらいました。アメリカがこういうことをやっているのかどうかは分からないけれど、「ありそうな話」であることは確かだったりする点も物語に重厚さを与えていると思います。ラストは賛否両論のようですが、私は「賛」です。

10位.マネーボール

「ソーシャル・ネットワーク」に続くアラン・ソーキン脚本作品。大好きな野球モノで、しかも野球経験のないヲタクが大活躍するという設定がもうシビレます。(ヲタクの存在はフィクションらしいですが)次はスティーブ・ジョブズかな。ちょっと恐い気もするけれど楽しみ。

11位.ヒアアフター

賛否両論(どちらかといえば「否」のほうが多い?)の1本。私は夢中になって観ました。唐突なラストも含め、好きです。死をテーマにしていることも、ラストに主人公がようやく「触れ合える」仲間に出会えるという終わり方も、私は評価したい立場です。

12位.ブラック・スワン

「本能を解き放て」とは自分に言われているような気がしてしまった1本。役者陣の鬼気迫る感はさすがすぎ。バレエってさほど興味なかったのですが、この作品で「一度くらいは観てみても良いかも」くらいに思い始めました。(どうせ寝るとは思いますが)

13位.アジョシ

ウォンビンって人のカッコ良さをアピールしすぎな感はあったけれど、「悪」の描き方はすごい。どのくらいのリアリティがあるのかは分からないけれど、児童の誘拐と臓器売買というテーマをとりあげたのは評価できると思いました。中盤〜終盤の主人公の無双っぷりも「ランボー」とか「96時間」みたいでスカっとする。それもこれも、「こいつらは地獄に落ちて良い連中なんだな」と前半でしっかりと思わせてくれてるからなんですよね。

11月
5th

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

作成者: マサル | Files under others...

衝撃的なタイトルです。「なぜ殺さなかったのか」とはつまり、「殺すのが当然であるのに、殺さなかったのはなぜか」ということなのですから。しかしこの本の読みすすめるにつれ、「確かに殺すのがむしろ当然だ。」と思うようになってしまいました。力道山の行為は、それほどまでに木村政彦という人物の評価を不当に貶めるものだったのです。

筆者の増田俊也氏は、木村政彦の名誉回復のためにこの本を書き始めたそうです。書き始めてから出版まで、実に18年。圧倒的といえる取材の量と質。その緻密かつ大胆な取材の凄さが、筆者の執念や怨念を伴ってどのページからも伝わってきます。そんな紙面が全部で700ページ。Amazonから届いたときは、「こりゃあ、1ヶ月はかかるかな」と思ったのですが、結局1週間で読み終えてしまいました。もう、夢中になってしまって、会社に向かって歩きながらも読んでしまったほどです。

私は特に格闘技好きでも柔道好きでもありません。まぁ、大晦日にやってるイベントは気が向いたら見る程度、柔道はオリンピックのときくらいしか見ません。プロレスは大学時代に友人の家でよく観ていましたが、熱心に語れるほどには知りません。そんな私ですら、この本に登場する木村政彦にはワクワクしてしまいます。序盤〜中盤は、木村政彦がどのようにして「作られた」か、そしてどれほど強かったのかが延々と書かれているのですが、これがまた面白く、圧倒されます。「木村にとっては、自分とそれ以外の人々、という認識しかなかった」という表現が、まさに彼の強さを正確に表しています。木村にとって、エリオ・グレイシーも力道山も、「その他大勢の中の1人」でしかない、全く問題外の存在。それも、全盛時を10年もすぎてからでも。エリオ・グレイシーと木村政彦のマラカナン・スタジアムでの伝説の試合は、その映像をYoutubeで見ましたが、まさに子ども扱い。それだけに、八百長破りによる奇襲で力道山「ごとき」に破れてしまったことは、木村にとっては耐え難い屈辱だったことは想像に難くありません。そのあたりの感覚が自然なものになるくらいに、この本では木村の強さと、彼の強さを作った師匠・牛島辰熊との師弟関係が詳細に語られていました。

「本気の殺意を覚えた」(アントニオ猪木)、「一つとして良いところのない人だった」(ジャイアント馬場)などと2人の付き人に言われるほどの男、力道山。格闘技における強さにおいて、木村政彦の敵ではなかったことは間違いなさそうですが、しかし周囲にそう言われるまでに金と権力を追い求めたその執念の強さは、やはり「怪物」と呼ぶにふさわしいものでした。「引き分けという約束だった」ことの念書を、両者の間で交わすはずが、木村政彦からだけ出させ(自分は忘れたといって逃げて)、八百長破りをしたその試合後、「木村は八百長を持ちかけてきた。」といってその念書を公開してしまうというものすごいやり口。そうまでして「勝者」であることにこだわったのには、彼の出自と時代背景(彼の人生のまさにその途中に、太平洋戦争とその終戦、そして朝鮮戦争があったのですから)大きく影響していました。

そしてこの本の最終目的、「なぜ殺さなかったのか」に迫る終盤、増田氏の気持ちも大きく揺れます。八百長破りは事実で、それは疑いようもない。しかし木村政彦は、八百長破りをやられたとしても、それでも勝てるはずではなかったのか。その程度の力の差はあったはずではないのか。ではなぜ、八百長破り「ごとき」で木村は負けてしまったのか。この試合を当時観た多くの人の証言、その後のこの試合についての木村のコメントの数々を分析し、その謎に迫るとき、「なぜ殺さなかったのか」の答えが見えてきます。

私はこの本を読んで、格闘技そのものや、柔道という競技(という表現がすでにあれなのですが)への考え方が大きく変わりました。現在の日本柔道界を仕切る講道館が、プロ柔道での失敗を理由にその存在を完全に黙殺している史上最強の男・木村政彦とその師匠・牛島辰熊。彼らの名誉が1日も早く回復されると同時に、あるはずなのに失われてしまったという、戦前の天覧試合の動画や、力道山 vs 木村政彦戦の未編集の動画が発見されて公開される日がいつかきてほしい..と切に思います。

11月
2nd

ウィンターズ・ボーン

作成者: マサル | Files under Cinema, ★5

現在公開中のアメリカ映画、「ウィンターズ・ボーン」(監督:デブラ・グラニク)です。新宿武蔵野館で観賞しました。

少し前のマル激でこんなことが論じられていました。

「昭和30年代と比較して、殺人等の凶悪犯罪は圧倒的に減っている。とくに怨恨を動機とした犯罪の現象は顕著だ」
「その主たる原因は、人々の関係性が希薄になったからではないか。希薄だから、殺したくなるほどに頭に来ないんだ」

この映画では、あまりにも濃密な人間関係が残る集落と、そのことが引き起こす悲劇とそれでも生き抜く家族が痛さとキツさにほんの少しの暖かさ加味して描かれていました。

自宅を保釈金の担保にしたまま失踪してしまった父親。なんとか父親を探しだそうと奔走する3兄弟の長女リー。しかし、彼女がどこに手を出しても、あからさまな妨害にあってしまう。父親の行方には、「一族の掟」が深く関わっていた。明らかに「何かを知っている」親族の者たち。こういう、「皆知っているのだけれど、絶対に言わない」ものが存在することは、現在でも田舎ではよくあることだと思う。もちろんこの映画ほどに過激な話ではないけれど。そして終盤、全てを知ってもなおその地に行き続けることを決めたリー達の姿に、観客はこれが「繰り返される物語」なのだということを予感しつつ、エンドロールへ…。

こういう映画を観ると、いつも「幸せとは何か」「生まれによる差はどう理解すべきか」ということを考えて、堂々巡りになってしまう。この作品で描かれる人々に訪れる運命はあまりに過酷。降り注ぐのは、間違いなく不幸な出来事。でも、彼らには良くも悪くも「絆」がある。今、日本で「絆」を獲得し、維持するにはお金や時間といったコストが必要で、明確に「絆のためだ」と意識しないとすぐにパンクしてしまう。もちろん、「絆」などなくても肉体が朽ち果てるまで「死んだように生きる」ことは出来る。しかし、コストを意識して「絆」をつなぎとめる人生と、「絆」なしで生きる人生、そしてこの映画の人々のような「絆」に縛られる人生、どれが一番幸せなのだろうか。

個人的満足度:★★★★★(主人公役は、「あの日、欲望の大地で」の人だったのね…。なんか幸薄い人の役が似合う方ですね。)

10月
28th

ミケランジェロの暗号

作成者: マサル | Files under Cinema, ★5

現在公開中のオーストリア映画、「ミケランジェロの暗号」(監督:ウォルフガング・ムルンバーガー)です。TOHOシネマズ シャンテで鑑賞しました。

この映画、観たのはずいぶん前(9/25)なのですが、なかなか記事を書かず、今にいたってしまいました。こうなると大抵は「書かずに放置」なのですが、年間でも上位に来るであろうこの作品について何も記録しておかないのは…と思って今、定食屋でこの記事を書き始めめたところです。

とにかく「よく出来た、よく考えられた映画だ」というのが今でも残っている印象です。笑いもあり、映画的カタルシスもあり、いろいろな要素を詰め込んでいるのに破綻していない。タッチは軽妙なのだけれど、緊張感も重厚感もしっかりある。私としては、この作品の1週間前に観て「こりゃあすごい」と思った「ゴーストライター」を超えてしまった感じでした。

ナチスの蛮行という時代の波にのまれ、財産や友情・家族を失っていく登場人物たち。ただ、主人公のユダヤ人家族には、他とは違うモノ、すなわち「ミケランジェロの絵」を持っていました。この絵の存在にナチスも主人公もその周辺の人たちも翻弄され続けます。こういうアイテムって、「マクガフィン」っていうんでしたっけ。とにかく、最後の最後まで、これがキーアイテムとなって(しかも実物はあまり登場しない!)、「あれはいつ再登場するのだろう、どう使われるのだろう?どうなるのだろう?何かアレ自体にも秘密が?」などと常にワクワクさせられながら、「もしかしたら何かヒントになるようなセリフや映像が描かれるかも」などと考えて、思わず一瞬も見逃さないようにしたいモードにさせられました。

とにかくストーリー展開にスピード感があって、その中での会話も軽妙なので、ずーっと集中して楽しめます。しかも、うまいタイミングで(ホントは笑える話じゃないのに)クスリとさせられるシーンが出てくるので、集中しまくってても全く疲れない。このあたり、しっかりと計算されているなぁ、と思いました。(もちろん後で)冒頭の小屋での「入れ替わり」のシーンや、その後の基地でのイスを使った取り調べのシーンは特に印象に残っています。そしてあのラスト。これも、見終わった観衆を陰鬱な気分にさせない見事なものでした。

先日、「見えないほどの遠くの空を」の榎本憲男監督の私的な勉強会に行ってきたのですが、そこで「三幕構成」というのを教わったんですね。詳しくはググってもらうとして、その説明の中で監督が「とどのつまり、日常から始まり、非日常に旅立って、最後にまた日常に戻ってくるのがストーリーの基本です。その旅の途中、あるいは結果として主人公に変化が起こることもセオリーとしては必要」とおっしゃっていたのですが、まさにその通りの(教科書通り?)の脚本になっていたと思います。あ、こんなことは映画好きには常識でしたかね…にわか映画ファンなもので、お許しを。

あまり多くの映画館でやっているわけではないようなのですが、どうやら今年観た映画の中でも上位にきそうな予感さえしています。昨年で言えば、(全然違うテーマの映画ですが)「瞳の奥の秘密」みたいな感じでしょうか。とにかく、未見の方はぜひ映画館にお急ぎくださいませ。

 

個人的満足度:★★★★★

10月
14th

猿の惑星:創世記

作成者: マサル | Files under Cinema, ★3

現在公開中のアメリカ映画、「猿の惑星:創世記」(監督:ルパート・ワイアット)です。TOHOシネマズ六本木スクリーン7で鑑賞しました。

久々に記事を書いてみることにしました。いえ、「SUPER8」だとか「ゴーストライター」だとか「アジョシ」だとか「ミケランジェロの暗号」だとか、もう面白い映画を観まくっていたのですが、感想は一向に書かず..。少々忙しかった夏休みにサボってしまったせいで、ついつい書かないのがデフォルトになってしまい…まぁ、とりあえず書きやすいので1本書いておこうかと。

「猿の惑星」シリーズは、実は1作目しか観ていません。1作目を観たのは2008年の4月。なんでそんなに明確に覚えているかというと、1作目で主人公を務めたチャールトン・ヘストンが2008年4月5日に亡くなり、その追悼特集がWOWOWでやっていたから…という次第でして。しかしまぁ、その第1作につながる「episode:0」とのことで、公開をかなり楽しみにしており、初日に見に行ってしまった、というわけです。

「なかなか上手につなげたなぁ」というのが第一印象。episode 0モノですから、「最後は猿が人間に勝っちゃう」ことはほぼ100%の観客が分かっているわけで、これは普通に考えれば「ディストピア映画」になっちゃいそうなものなのですが、そこを猿に感情移入させるような描き方を前半〜中盤にしっかりすることで、後半の猿の反乱を観ていて楽しめるものにしてくれています。実際、マシンガンを撃ちまくるヘリをジェイコブズ(ちょっと凶暴な猿)が倒してしまうシーンなどは、なかなかシビレるものがありました。

とはいえ、ちょっと無理のあるところも散見された気が。終盤、いくらなんでも猿が増殖しすぎだろ、とか、後から湧いてきた猿たちはなぜ知性を獲得してるの?とか。動物園の猿を解放するシーンなどは、いきなり柵を壊してしまうのではなく、まずアルツハイマー治療薬を2〜3個投げておいてから解放する、ということにでもしておけば違和感がないのに、などと思ってしまったりしました。ま、その後の展開が早いので、「勢い押し」でなんとか楽しめてしまいましたが。

まぁ、世界的な大ヒットになっているようなので、もしかすると、猿が人間を完全に駆逐してしまうまでのepisode 0.5みたいなのも制作されてしまうのかも、そしてそれもどうせ観てしまうのだろうな、などとも思ったり。それにしてもこの作品、猿もぜーんぶ役者さんが演技してるんですね..。

 

個人的満足度:★★★☆☆

7月
31st

コクリコ坂から

作成者: マサル | Files under Cinema, ★4

現在公開中の邦画、「コクリコ坂から」(監督:宮崎吾朗)です。TOHOシネマズ六本木スクリーン2で観賞しました。

実を言うと、観るのにあまり乗り気でない映画でした。ジブリ作品(というよりも宮崎作品)は冒険・ファンタジー物は好きですが、恋愛モノはイマイチ..という印象があったからです。「海が聞こえる」は大好きで当時VHSテープの画質が劣化してしまう程度には繰り返し観ましたが、あれは宮崎さんが絡んでないんですよね。

というわけで、「もしかしたら寝るかも…」などと思いながら観賞に臨んだわけですが、いや失礼いたしました。しっかりバッチリ、楽しませていただきました。

まず、主人公・海の住む洋館にヤラレました。私が幼少のころによく遊んだ「粟島海員学校」の建物にソックリ。(参考サイト)その他、「トリスの楊枝立て」だの「ビン入りのコーラ」だの「ジョニーウォーカー黒ラベル」だの、懐かしいものばかり。いや、ジョニ黒は今もありますが、当時は海外旅行のお土産の定番だったらしく、わが家にもあった記憶がありまして。

さらに、「カルチェラタン」にも似た建物は、高校時代に実際に使っていたりしまして。(参考サイト)「白亜館」と呼ばれていたこの建物、選択授業とかで普通に使っていましたが、どうやら取り壊されることもなく、1998年に国の登録有形文化財に登録され、永久保存がほぼ決定したようです。(ということは、この映画の鑑賞後に調べて知りました….)まぁ、作中のカルチェラタンのような、カオス状態で超絶に楽しそう&居心地のよさそうな空間とは異なりましたが、生徒に愛されていたことは共通していました。なんか、母校に行ってみたくなってきたぞ…

さて、肝心のお話のほうですが…。んー、予告編でちょっとバラしすぎ、と思ったのは私だけでしょうか。前半は、「いつあのシーンが来るんだろう?」とか、「うーん、この2人は実は兄弟なのか…」とか考えながら観てしまいました。「海と俊の恋物語と出生の秘密」と「カルチェラタン存続問題」の2つの物語が交互に進む展開は、ほとんどが中盤あたりで予想した通りで、意外性はまったくありませんでした。が、まぁ安心感を持って2人の恋の進行を観賞するのもまぁそれほど悪くはなかったですね。

実はこの文章、観賞から1週間以上経過してから書き始めたのですが、なんだかあまり印象に残っていない感じです。(加齢による記憶力の低下かも知れませんがw)「なんとなく気分のよい2時間を過ごさせてもらった」だけの映画なのかな、とか思ったり。もちろん、それで十分でもあるのですが、もうちょっとインパクトみたいなものがあっても良かったかな..と思うのは贅沢なのかな..。

 

個人的満足度:★★★★☆

7月
14th

X-MEN ファーストジェネレーション

作成者: マサル | Files under Cinema, ★4

現在公開中のアメリカ映画、「X-MEN ファーストジェネレーション」(監督:)です。TOHOシネマズ・スカラ座で観賞しました。

いやぁ、楽しめました。先日、ある映画監督が「面白さという点で言えば、アメリカ映画にはかなわない」とおっしゃっていましたが、まさにそれを実感した2時間でした。X-MENの第1作に(そこそこ)華麗につながる展開、プロフェッサーXとマグニートーの友情と確執、ミスティークの不幸な過去とプロフェッサーXとの関係、その他のミュータントたちの生い立ち…「すべてが明かされた」感十分です。まぁ、一部つながらないところもありましたけど。

X-MENシリーズ、実は今まで観たことがなかったんですよね。この作品も公開前はあまり興味がなかったのですが、周囲の評判がすこぶる良くてどんどん観たくなり、とりあえず第1作だけをAppleTVで購入して観賞してから劇場に足を運んだ次第で。その後、2も3もウルヴァリンも観たのですが、世間一般の評判通り、この「ファーストジェネレーション」が一番良くできていると思いました。とにかく、全く飽きさせずにストーリーが展開するし、終盤も「すべてが予想通り」でもない。第1作につながる話だとほぼ全員の観客が分かっている中での「意外性の持たせ方」はまさに絶妙。スター・ウォーズのエピソード3と同じような宿命を背負った映画と言えるわけですが、あちらよりも「つなげ方」という点では成功している気がします。

それにしても、X-MENシリーズ、石ノ森章太郎の「サイボーグ009」をついつい思い出してしまうのは私の世代だけでしょうか。「万能な1人のヒーロー」ではなく「1人1人が特殊能力を持ったヒーロー集団」という、似た設定の物語がほぼ同時代に作られたのは驚きです。(Wikipediaで調べてみると、X-MENの初出は1963年、サイボーグ009は1964年のようです。どちらかがパクったとか参考にしたってことはなさそうです)そして、どちらも比較的地味な能力を持った者が主人公というところまで同じとは!ちょっと009のアニメ版を見直したくなりました。(2001年〜2002年に作られた新アニメ版が大好きなんです。)

個人的満足度:★★★★☆

6月
30th

奇跡

作成者: マサル | Files under Cinema, ★2

2011年の邦画、「奇跡」(監督:是枝裕和)です。シネマライズで観賞しました。
是枝監督の作品は、「誰も知らない」(2004)と「空気人形」(2009)の2本を比較的最近になって観たという初心者です。「誰も知らない」からは強い衝撃を受けましたが、「空気人形」(2009)は「高校生の自主映画のようなネタを、ここまで映画として観れる作品にしてしまう力量」は凄いと思いつつも、「で、何?」感がぬぐえず…。とは言え、是枝監督には「間違いなく、それなり以上に面白い作品を作ってくる監督さん」というイメージをその2作から持っていたのと、先行や試写で観た方々の評判もおおむね良かったこともあって、今回もかなり期待していたのですが….ううむ。

まず、「小学校6年生と4年生の兄弟が、両親の離婚の際に将来、父や母といっしょに暮らすようになるために、あえて離れて暮らすことを選んだ」というのが、私にはちょっと想像しがたいものでした。しかしまぁ、航一も龍之介も、「すごく良い(ように見える)オトナたち」に囲まれて生活する様子が、いかにも観ていて心地よい。いや、その心地よさが自分には心地悪く..。これ、本当に「誰も知らない」を撮った是枝監督の作品?

兄・航一は、町に火山灰を降らせている桜島を眺めるうち、「桜島が大爆発すれば、この町に人は住めなくなって、両親と暮らせるようになる」と願う日々。そんな彼に、「九州新幹線が開通後に初めてすれ違うとき、願い事をすればかなう」という噂が伝わり、何としてでも新幹線をすれ違いを見に行きたくなってしまう…。これは、ものすごーく気持ちがよく分かります。っていうか、そのイベントなら私も行ってみたい。まぁ、私のようなすれっからしのオトナの考える「人生を濃密にするためのイベント」と違って、彼らは本気でかなえてほしい願いがあるわけなのですが。

その後、むず痒いくらいに良い人ばかりのオトナたちの協力もあって、兄弟は作戦を決行でき、すれ違い予定地で出会い、これまたむず痒いくらいに理解ある人との出会いもあって、オトナたちに感謝しながら「その瞬間」を迎えるのですが…。個人的には、ちょっと「良い話すぎる&良い人たちばかりすぎる」のが気になりすぎてて、あまり物語にノレませんでした。ラストの「家族より世界」という選択とセリフも、途中の父との会話に伏線があるとはいえ、ちょっと「とって付けた感」もしてしまい….。

とまぁ、なんだか嫌悪感みたいなものを募らせてしまったのですが、それでもそこそこは楽しめました。物語のテンポとか「間」の取り方とか軽妙な会話とか、その辺はやっぱり名監督ですね。これは率直な感想なのですが、「2時間の映画じゃなくて、NHKの朝の連続テレビ小説みたいなのだったら良かったかも」などと思ってしまいました。

 

個人的満足度:★★☆☆☆☆(チョイ役で長澤まさみや阿部寛を使うとは….いろいろ考えてしまいます)

6月
3rd

見えないほどの遠くの空を

作成者: マサル | Files under Cinema, ★5

6/11(土)公開(東京ではヒューマントラストシネマ渋谷)の邦画、「見えないほどの遠くの空を」(監督:榎本憲男)です。新橋のTCC試写室にて行われたTwitter試写会にて観賞しました。

超低予算で作られたというこの作品、正直言うと、観るまでは少々「不安」でした。おそらく同程度の予算であろう「国道20号線」を観たとき、彼らが「描きたいこと、訴えたいこと」が痛いほどに伝わってきたのと同時に、映像や音声の品質や俳優陣の演技に、超低予算映画の限界を感じていたからです。「国道20号線」のような半ドキュメンタリー風の社会派映画は成立しても、エンターテインメント映画は成立しづらいのでは…と。

しかしその不安は、開始5分で一気に吹き飛びました。美しい映像、俳優陣のしっかりとした演技、思わず「うまいなぁ」「かっこいい!」とうなってしまう数々の表現技術。映画愛の深さを感じずにはおれない、数々の映画的記憶を呼び覚ます演出の数々。監督の「引き出しの数」の多さが、低予算であることを感じさせない映画に仕上げています。

っていうか、何よりも純粋にエンターテインメント映画として面白い。切なくて哀しくて、でも希望に満ちあふている、ややベタなファンタジー恋愛映画。映像は丁寧な作り込みがされていて、こだわりを感じます。特に部室のシーンは必見。思わず一時停止してじっくりと見てみたくなりました。その他、町も公園も学校も主人公の部屋も、いろいろと考えられて作られているのがよく分かります。もしかして、「二度見」させようって魂胆?(^^; あと、特に公園と部屋のシーンの光の使い方が非常に印象的でした。

監督自身が書かれた原作小説も読みましたが、「低予算でも成立しうる物語とその脚本を執筆した」というだけあって、映像化したときにどうなるか、を常に考えながら物語を構築したことがよく分かります。ちなみに私は先に原作を読んでしまったのですが、読むのは映画観賞後のほうがベターかな、と思いますね。やはり、「二転三転」の部分は知らずに映画を観るべきだ、と。

大きな物語(輝かしい未来!)を失った我々が、生活の中の小さな幸せを消費することで寂しさや虚無感を忘れて「死ぬまでの時間つぶし」をすることが出来るような「強度」を持つことが、ポストモダン社会では必要となってくる、と社会学者・宮台真司氏は1995年の著作「終わりなき日常を生きろ」で主張しました。そのような生き方を選択する人は今、一昔前よりも確実に増えていて、しかもそれは現在も増加の一途をたどっていると、勤めている学習塾で高校生や大学生と触れ合っていて感じます。そんな彼らは不幸せ(そう)ではなく、むしろ幸せそう。

でも、そうは生きられない人も確実にいます。そんな悩める若者たちに向けた、あるいは自分にとっての幸せを定義せずに日々生きている人たちに向けた、榎本監督の強い、しかし優しさあふれるメッセージが、この映画には込められていると感じました。

(ネタばれを含む感想&その他は、劇場公開後、しばらくしてから追記させていただきますー)

個人的満足度:★★★★★(初日の舞台挨拶、行くかな…)